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2015年1月24日 (土)

敦賀今昔 絹掛けの松

Kinukakematu_2南北朝争乱、金ヶ崎城に立て籠もった南朝軍は衆寡敵せず餓死寸前で敗れた。南朝軍に担がれた桓良(つねなが)親王は逃れるとき、金ヶ崎城下の松に衣を掛けたという、伝承がある。その松が右の画像である。敦賀新港が建設されるまでは、この松から山上の金ヶ崎城(月見御殿)跡までは、岩がむき出す絶壁だった。申し訳程度に残された松、史跡としての価値有無によってのこされたのか、定かではない。Kinukakegen歴史を語る史跡、自ら破壊するもの、現在の観光事業に利用するもの、それぞれ。だが、開発と個人所有のはざまで、数少ない歴史的建造物、史跡が破壊されていく。

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